Vol.1 「だれか」から「わたし」へのシフト

【思想・科学】

Column

下村雅彦

WorldShift文明論

ーロゴス文明から、ホロス文明へ。

WorldShift文明論では、各回のテーマに沿って、WorldShiftの提唱者であるアーヴィン・ラズロ博士※1の思想の紹介を中心に、これからの文明社会のビジョンを描いていきたいと思います。

(※1)哲学者。世界賢人会議「ブタペストクラブ」創始者・会長。世界的な環境運動の潮流の起点ともなったローマクラブによる『成長の限界』の編集者として、また「システム哲学」と「一般進化理論」の創始者としても知られ、04年・05年にはノーベル平和賞候補ともなった。

 

はじめに

 

創刊となる今回のテーマは「だれか」→「わたし」。この「だれか」→「わたし」と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょうか。ここでは、「自身の意思・判断によって、責任をもって行動すること」、理性・主体性を取り戻していくこと、という現代社会の一つの潮流ととらえ、話を進めていきたいと思います。

この理性や主体性に関わり、アーヴィン・ラズロ博士はこれからの文明社会について以下のビジョンを示しています。

 

ラズロ博士によれば、様々な社会課題が噴出している現代は理性や主体性を重視するロゴスの文明であること、またこれからやってくるのは、全一性を重視するホロス(holos:ギリシャ語の「全体」を意味する言葉。ホリスティック)の文明であると述べています。理性や主体性を確立していくことは、現代の一般的な感覚からは良いことのように思われますが、ラズロ博士のいう「ロゴス」とはどのようなものでしょうか。また、「ホロス」というと、WIRED元編集長ケヴィン・ケリーがベストセラー書「インターネットの次に来るもの」において全人類と全マシンの知能と行動が集合的に結びついたネットワークとそのダイナミズムをホロスと命名していたのを思い出される方もおられるかもしれませんが、ここで言われるホロスに対して、ラズロ博士のとなえる「ホロス」とはどのようなものでしょうか。

以下では、今回のテーマである「だれか」→「わたし」に関する歴史的な観点(理性・主体性の歴史)も踏まえて、現代に続くロゴス文明、そして来るべきホロス文明とは何かを概観してみたいと思います。

 

「だれか」→「わたし」の歴史

 

① ルネサンス(個の覚醒)

歴史において”理性・主体性”が花開いた時期としてまず挙げられるのは、14~16世紀の欧州におけるルネサンスでしょう。中世の文化的閉塞やペスト病蔓延等の危機を契機として、神のもとの他律的な人間という世界観から離れて、自分なりの世界観を確立していこうという人間解放の動きとして、ルネサンスと啓蒙の時代が始まりました。

 

② 科学革命と近代の始まり

この16世紀までの”個の覚醒”を経た17世紀に、「我思う。ゆえに我あり」で有名なデカルトや、「知は力なり」といったベーコンに始まり、近代物理学の祖ニュートンに至り、その確固たる地位と世界観を確立した「科学革命」が起こります。人間の理性・主体性に全幅の信頼が置かれた”近代”の始まりです。

 

③ 近代合理主義の進展

この科学革命のプロセスを通して、これまで自身が包まれ神秘と畏敬の対象であった自然は1つの大きな”機械”とみなされ自身の便益のための支配の対象となり、このような「唯物的機械的な世界観」や、世の中のすべては論理の力によって解明でき効率的に操作できるとする「近代合理主義」が社会のメインストリームとなっていきます。

 

④ 理性・主体性への疑問

そして、この近代合理主義が産業革命を経ていよいよ社会全体に浸透し始めたのと並行して、哲学・思想界では、「神は死んだ」と語りニヒリズム(人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値などがないと主張する立場)を唱えたニーチェや精神分析学のフロイトを起点に近代批判の思想が展開され始め、それまで先天的なものと信じて疑われなかった人間の理性や主体性に大きな疑問符がつけられます。

 

⑤ 啓蒙・文明の進展と弊害

一方、世界的には、理性による文明化を理念として始まった啓蒙の運動は、その経過とともに、西洋が世界の遅れた諸民族の文明化を担うべきという植民地主義・帝国主義に変わり、先の2つの世界大戦に帰結。「何故に人類は、真に人間的な状態に踏み入れていく代わりに、一種の野蛮状態へと落ち込んでいくのか」という問いに対して、ドイツ現代思想の起点ともなったアドルノ・ホルクハイマーはその書「啓蒙の弁証法」において、文明が巻き起こす野蛮状態の原因は”道具的な”理性にある、としました。

 

⑥ 現代社会へ

近代の人々は伝統や神の掟から自らを解き放ち、合理的な思考で社会を編成し直してきましたが、今や現代は、その礎となる理性・主体性への信頼は希薄となり、合理化だけが繰り返し見境無く徹底されていく再帰的近代化の時代といわれます。経済的豊かさや自由・平等理念の普及というこれまでのプラス面の一方で、上記のアドルノ・ホルクハイマーの言う道具的理性による野蛮状態への回帰は、科学技術が発達した現代においては特に破壊的であり、生態系・経済・社会にまたがる構造的な社会課題につながっています。また個々人にとっての近代化は、”解放”の側面はあった一方で、社会の合理化・システム化による流動性の高まりとともに、確からしい拠り所や存在する意味が希薄となり漠然とした不安や疎外感・無力感に苛まれる傾向を強めています。

 

⑦ これから何が来るのか

世の中で言われている、今社会が向かっている方向を表す言葉を1つ挙げるならば、それはおそらく「スマート」でしょう。よく出来た言葉で、今やいろいろな場面で一般用語として用いられています。私も普段はシンクタンクに勤めており、スマートの次に来るキーワードは何か、みたいな雑談を仲間としたりもしますが、しかし、このスマートという言葉が示唆する社会発展は(多分に”物事は技術が解決する”というニュアンスを含む。今やAI・IoTやシンギュラリティといったキーワードとともに邁進中)、上記のような歴史やその帰結である現代の社会課題の状況から見て十分なものなのでしょうか。

以下は、かのアインシュタインの言葉です。

「問題は、その問題を生み出したのと同じパラダイムでは解決できない」

私の理解では、スマート=ロゴス文明の延長で近代合理主義を更に突き詰めていくものであり、私たちはいまだ基本的に、彼が否定したまさにそのやり方で進もうとしている、と思われます。では、スマートの次に来るものとは何でしょうか。

 

スマートの次に来るもの

 

ラズロ博士によれば、「理性・主体性という言葉は本来中立的だが、”利己的に寄り過ぎた”主体性による、”近視眼的な”理性のあり方が改められる必要がある」。また、「現在の危機は、私たちが利己的に分断されていることから生じており、そこからの救いは全一性(ホロス)を再発見することによってもたらされる」、と言っています。

簡単に言えば、つながりと調和を回復することといえますが、ホロスという新しい世界観のもとで、利己的なあり方を超えて主体性と調和が両立する第2のルネサンス(個の覚醒)の時代が始まる(既に始まっている)のではないかと思います。そして、そこでのキーワードとしては、肥大化した知性と心身との調和の観点からも”身体性”や”直感”、また”意識”や”生命”などが想定されますが、これから改めて人間の意味が問われるAI時代にあって、注目されるものになっていくでしょう。

また、”再発見”という言葉について、ラズロ博士は、「科学の最先端では新しい洞察が次々と出現しており、それは人々が常に感じていたにもかかわらず、合理的な説明ができなかったある事柄の確証である。その事柄とは、”私たちはお互いに、そして宇宙と、密接に結びついている”ということだ」として、量子物理学・宇宙論・生物学・生態学等からの最新の知見を総合して得られる世界観として「生ける宇宙」論という仮説を提唱しています(「生ける宇宙」論の詳しい内容自体はまた次号以降でご紹介したいと思います)。

前項で紹介の歴史の流れからも、現代は、自身を含め”存在”することの意味が見出しにくい相対主義の時代といわれ、またこれはソクラテス・プラトン来の主観性の西洋哲学の帰結とも言われています(確固たるものなく、相対主義・ニヒリズムに行き着かざるを得ない)。

この相対主義の時代を超えて、互いの差異を認め合い、またそれらの間に意義深い交流をもたらすことが可能な”普遍性”が今改めて求められており、それは(ラズロ博士の生ける宇宙論はその候補の1つと考えていますが)、社会に受容されるパラダイム転換につながる、近代科学の時代を通り抜けた解像度の高い言葉で語られるものになるだろう、と思います。

 

(文:下村雅彦 / WorldShift MAGAZINE編集部 )

 

下村雅彦プロフィール

ワールドシフト・ネットワーク・ジャパン事務局長

普段はシンクタンクで国の科学技術政策や先端技術の社会実装、企業のコンサルティング業務等に携わる。専門は情報科学・数理最適化、経営・経済学、思想史・科学史等。

 

 

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