Vol.1 「だれか」から「わたし」へのシフト

【教育】

Column

モンデン カオル

自分たちの力で解を探してゆく、

ポートランド「マザーアーススクール」を

訪れて。

 

はじめに、少し個人的なことを書こうと思う。わたしがワールドシフトの活動を知ったのは、ほとんど事故みたいなものだった。会社を辞めて次に何をするのか大した展望も持っていなかったときに(今でもそんなものはないのだが)、たまたまイベントサイトで見つけた「ワールドシフトコミュニケータ養成講座」に参加したのがきっかけ。だから、この活動がそもそもアーヴィン・ラズロ博士の提唱で、ブタペスト会議とか、なんだか自分とは相容れないかんじの立派な面々が参加しているなんてまったく知らなかったのだ。それを知っていたら、もしかすると恐れ多くて近づかなかったかもしれない。

 

そんな具合に参加した延長線だったこともあって、当初、ワールドシフトライターズとしての活動で思い浮かぶものは何もなかったのだが、たまたまこの活動のために集まった2週間後にアメリカに旅行することにしていて、旅程にポートランド滞在が含まれていたというだけで、ゆかりのある人やユニークな教育活動の場をご紹介いただくという幸運に恵まれる。そんな出会いの中から、どういうふうにこれからの時代を生きてゆけばいいのか、というヒントになるお話を伺うことができた。

 

そもそも教育とは何なのか

 

これを読んでいるみなさんは「教育」というと何を思い浮かべるのだろうか。わたしは自身がいわゆる受験戦争時代といわれていた頃に義務教育期間を過ごして、ちょうど就職氷河期といわれた頃に社会人になる年齢という世代(団塊ジュニア世代)である。学校ではテストで高得点を上げることがいちばんの目標。そこさえ突破できれば、社会が認めてくれるバラ色の人生が待っているかのごとく考えていたような気もする。そこに、自分は何をしたいのかという真剣な問いがどこまであったのかは、今振り返ってもあまりよく思い出すことができなくて、はじめからそんなものはなかったかもしれない。そして、わたしが成人までに経験した教育のかたちが、次世代に役立つとはまったく感じていない。多方面で様々な取り組みが試みられているのを感じるが、未来に向けて従来の教育は変わらなければ、と感じることの根本的な理由を理解できれば、それぞれの立場での試みが可能になるのではないか。

 

今回、アメリカのオレゴン州ポートランドにある2008年に創設されたマザーアーススクール(http://www.motherearthschool.org/:英語)にお邪魔して、この学校の創設者のひとり、April Blair(エイプリル・ブレア)さんにお話を伺うことができました。私自身は子どもに関わる仕事でもなければ、自分に子どもがいるわけでもない。それでも、子どもが身近にいないから関係がないのではなくて、大人としての自分がすでに培ったと思っている物事の対象を観るときの視点を、改めて問い直すヒントを多くいただいた気がしている。

 

この学校はシュタイナー教育やパーマカルチャーの視点、野外活動、また、ドイツで主に広がりをみせる森のようちえん(Forest kindergarten)、ディープネイチュアコネクション(Deep nature connection)などの観点を織り交ぜて構成された教育手法をとっている。

 

Aprilさんにとって教育とは何か尋ねたところ、創造的に自由な発想の人間を育てることが基本原則だという。子どもたちには、問いに対して必要以上の情報を与えることはせずに、自分たちの力で解を探してゆくサポートをするようにしている。そのために数多くの質問をする。問いをたくさん投げかけることで、子どもたちは自分たちの力で試しながら、解を探し当ててゆくことに刺激を受けるようになる。例えば、算数で計測することを学習する場合にも、ただ方法を暗記するのではなくて、足を踏み鳴らしてみたり、飛び跳ねてみたりすることで、体を使った経験が神経経路を伝って記憶されて、それらがいろいろなことに応用できるようになる。ただの暗記に終わってしまうと、自分の経験とは切り離された状態にとどまってしまって応用することができないという。これは、テストを終えると暗記したほとんどを忘れてしまう経験をしたことがある人なら、ピンとくる話ではないかと思う。

 

いま、日本において、大人の世界であっても必要な人材にクリエイティブ(創造的)であることが挙がる。そう言いながら一方では、なにがクリエイティブなのかはっきりした定義を認識できるひとは少ないような印象だ。いまはおそらく、新しいことへの模索と消し去りきれない古いシステムが交錯している時代だろう。Aprilさんはこの部分にも通じる明確なビジョンを共有してくれた。

 

彼女いわく、いまは物事がものすごく早く変化する。だから、子どもたちはその渦の中で育ち、その時々にどんなことが必要とされるのかを模索しながら成長をするしかない。アメリカの一般的な教育システムは、産業革命が起こったあとに労働者を量産するために設計されたもので、それらのひとが担うはずの多くの仕事が海外に流れてしまっている現状では、変化に対応した教育のかたちを提供できていない。これからは次の時代を形作ってゆく何かを生み出せる、クリエイティブな発想を持った人間であることが求められていくはずで、そのためには現実世界で経験に基づいた理解をすることがとても役に立つ。例えば、算数を学習するといったときにも、気が進まないまま暗記を強いた勉強をするのではない。対象を計測したり、時間を計算したりすることがなぜ必要なのかを理解すること。なぜ、それらが世の中にあるのかを理解すること。だから、時間について学ぶときには時計をみることではなく、太陽を確認することから始める。そうすることで、人間がなぜ時間というものを必要とするようになったのかを理解できるようになって、さらに時間というのがナノ秒という微小な単位にまで細かく区切られるようになったのかを理解することができる。こういったものの見方を身につけてゆくことで、より大きな枠組みで対象を捉えることができるようになる訓練となってゆく。これは機械的な技術ではなくて、生活に根ざしたもので、生きてゆく上で応用ができるスキルとして身についてゆくのだという。

 

私たちが学校時代に必死に取り組んできた暗記に基づく情報としての知識は、今や指先のスワイプひとつで検索できてしまう時代になった。人間がその営みを連綿と続けてきた中で集積してきたそれらを、彼女の言う機械的な知識と呼ぶとするならば、それをもとに自分はどのように創造するのかを問われるようになってきているのだろう。知識に対するなぜを問うことのできる能力を育むことこそが、これからの教育に求められることかもしれないし、私たち大人にとっても、これからを生き抜くのに必要とされるものの見方になるかもしれない。

 

 

人間を理解することの奥深さ

 

さて、話をきいてゆくうちに、教育について情熱を持って語る彼女がいったいどういう教育を受けて、今の地点に行き着いたのか興味が湧いて、それを質問してみたところ、彼女自身は公立学校で教育を受けたのだという。笑いながら、学校の成績はすごく良かったんだけど、と教えてくれたあとでこう付け加えた。高校に通っていることにまったく意義を感じなかった、と。結局、高校は中退をしてGED(General Education Diploma:後期中等教育の課程を修了した者と同等以上の学力を有することを証明するための試験)を取得しカレッジに行くものの、高校を卒業した人たちを見ても、中退したことで逃してしまったことは何もないと感じたという。そして、その経験こそが、現状の教育システムに疑問を持つきっかけになったのだと。

 

さらに、子どもを持ったことで、自分が受けた教育とは別の方法を模索していったところ、ポートランドには公立学校とは別に様々な取り組みをしている学校が多くあることがわかり、それらをリサーチしてゆくなかで、人間を理解することの奥深さに惹かれていったという。そして、それこそが彼女自身が感じる学校教育のなかで欠けていることだったからだと。

 

意外にも日本ととても似ているな、と感じたのが、彼女が高校を中退したのちGEDを取得してカレッジに通ったとはいえ、その経歴ゆえに仕事を見つけることに苦労したということ。先に書いたように就職氷河期だったころに、面接官にあしらわれた経験が何度もあって、彼女の話してくれたことが妙に理解できたのだが、教育というのはこういった負の経験に対してどうやって向き合ってゆくのかを培う方法であり、それこそが人間を理解する、ひいては自分自身を理解するということに繋がってゆくのではないかというように思える。彼女は自分の負の経験から、それならば自分で動き出して自力で何かを生み出せばいいと考えたという。なにも、みんなが誰かに雇われて経済的な成功を収めることを目指さなくてもいい。物事を創造的に捉えて、自分自身を鼓舞して、どこかの学校を卒業したということで認められるのではない真の知性を持つことこそが大切であること。ひとりひとりが持ってうまれた個々の能力や才能をお互いに活かしてゆくことに目が向いたのだと。

 

葉っぱのお金

 

インタビューに伺った日は、とても気持ちよく晴れた美しい日でした。5月のポートランドは晴れていることが多く、日本の(少なくとも関東地方の)初夏のかんじに近い。そんな陽気の中、まさにおとぎ話の舞台のような環境で、理想を持ち続けることが現実を動かしてゆくという感触のおすそ分けを受けたような感覚になる。Aprilさん自身は自分を理想主義者だといっていたけれど、マイナスなところが目についてしまう現実世界に対して自分の感性を信じながら前に進んでいくことが現実を育てていくんだなと、理解がストンと落ちた気がする。このインタビュー中、彼女がよく使っていた単語のひとつにinspireがある。インスパイア。日本語でもカタカナで意味はある程度通じるはずなのでピンとくるひとも多いでしょう。鼓舞する、という意味ですが、彼女の歩み方もまさにそう。生き様が周辺を鼓舞するというか、きっとそんなふうに周りとインスパイアを与え合いながら進んでいる印象をもちました。インスパイアというのは、自分も巻き込んだコラボレーションかもしれず、他人事ではない自分ごととして対象を捉えることを含むのではないでしょうか。

 

下校をはじめる児童にまじって校門まで向かう途中、女の子たちが葉っぱを折りたたんで作った「お金」をくれる。1葉っぱ=1ドルで、この学校が位置する森を買うことができるのだそうだ。もちろん想像上のお話。しかし、こういった想像が非現実的には感じない。不思議と時間の過ぎかたがしっとりとしていて、よく認識をしないまま時間が過ぎてしまう都会とは明らかに違う空気感を体感することができた。

 

 

ひとりひとりが問いをたてること

 

これからの世界はひとりひとりが自分は何者なのかを問う時代に突入してゆくのだという感触を強く得ました。たまたまポートランドという街がその機会を与えてくれたけれども、特定の地域にかかわらず、すでに自分の周辺で起こっていることだってたくさんあるような気がしている。与えられたことで組み合わせるのだけでなく、自律した状態で世界に対して問いを発しながら、それを自分にさらに問いかけてゆくこと。唯一無二の「自分」という世界をどうやって活かしてゆくのかをひとりひとりが問いながら進んでゆくこと。実はとても勇気のいることだったりするけれども、そんな人がひとりでも増えてゆけば、お互いにインスパイアしながら道をつくってゆくことができる。

 

与えられた解答用紙に、期待された答えを埋めるような教育は「誰か」が作った枠組みのなかで出来上がったものの組み合わせをしていればよかった。もし、それを「わたし」に引き寄せたら、それでも人は同じことをするだろうか。

 

最後に、何もかもが行き当たりばったりの直前オファーだったにもかかわらず、多くのかたの引き合いと手助けを得て新しい世界をのぞかせていただくことができました。この場を借りて心から御礼申し上げます。

 

(文:モンデン カオル / WorldShift MAGAZINE編集部 )

 

モンデン カオル プロフィール

ワールドシフト コミュニケーター

国内外の複数の業種でクライアントサービスに携わるかたわら、40カ国以上の渡航経験あり。現在はキャリアコンサルタント。

マザーアーススクールの様子

April Blair(エイプリル・ブレア)さん

マザーアーススクールの庭で

マザーアーススクールで出会った女の子

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